市議会議員は市民の声に耳を傾けることが大切である。 次はレストラン閉店に伴う感謝の会の時の友人たちとの会話です。会話の中に政治的に解説しなければならないことが沢山あります。まさしく個人的なことは政治的なこと。彼女たちは個人的なこととして話していますが実はきわめて政治的なことです。
★ あるレストランの閉店 普段お世話になっているレストランが閉店すると聞き、今日は感謝の会を行い、店長にささやかな志を渡した。いつも利用していたところなので寂しい。 経営者はあらゆる努力をしていました。「低コストで消費者に提供するために人件費の削減に努力し30人の従業員の内、正規職員は店長が一人きりでした」と店長は話しました。店長は「家賃もたかすぎるのです」という。しかし、高家賃でも経営が成り立ったときがあったはず。だとしますと、やはり不景気が閉店の原因といえましょうか。 閉店にも店長は苦悩していました。店長は「現在、人材派遣の首切りや、非正規職員の首切りが社会問題化しているため、臨時だからと簡単に首を切るわけには行きません。関連企業に移動させます」と語りました。 「移動先は人員過剰になりますね、どうするのですか」と従業員の方にお聞きしました。すると「皆で少しずつ働くのです」といわれました。つまりワークシェアリングの働き方をするというわけです。私は「仕方かがありませんね。良い方法と思いますよ」と言いました。 ★ある工場の閉店 感謝の集いにきていた友人が息子の会社のことを話しました。―― 有名な富士通kkの須坂工場と長野工場が縮小し、県外の工場に配置転換されることになりました。多くの人は転勤しますが家族の介護などのために、どうしても転勤できない社員が何人かいました。社員たちはその社員を長野県で働かせるために全社員がある一定のお金を出すことにしました――。 何と嬉しい話でしょう。 ★分かち合いの仕事の功罪 感謝の集いに来たもう一人の友人が行った。「ふたりの息子が首きりになりそうになりました。しかし、皆で仕事を分け合い残業をしないようにしました。そのため、良い点も見えてきました。「家族でそろって食事ができるようになり、時間があるので自分で料理を作ることも覚えました。皆が少しずつ我慢することも覚えました」と。 私はふと、スウェーデンに思いを馳せました。同国は「仕事を皆がするために残業はしないと聞きました。「保育園も午後4時には閉鎖する」とお聞きし驚きました。「一人だけが稼ぐのではなく、皆で分担し皆が生きる」って良い生き方ですね。 ★ 仕事がほしいと悩む経営者と仕事を取り合う従業員 21.1.9日松本市和田にある創造館へパソコンの勉強に行った時、入口の一室に「中小企業金融相談窓口」との看板がありました。私は「商工業者はこの不況下にどのように暮らしているのか」と思い寄らせていただきました。事務所は松本市工業支援センターで製造業の相談窓口でした。担当者の話をお聞きました。 「11月は相談が1件でしたが12月は3件と増えています。また、このセンターにはコーディネーターが2人おり、企業を回っています。昨年と確実に違うようです。仕事をほしい企業の相談が多く、それも切羽詰まっている状況と聞きます。センターでは金融相談も行っていますが、金融の相談に来る人は仕事のある人で、悩みは浅いようです」と話されました。経営者も大変です。このような経営者の姿は従業員に反映します。従業員の中には次のような行動にでる人も出てくると、松本市内で行われた会議で社員が訴えました。 ★仕事を取り合う社員 ある青年の発言です。「私の仕事に他の仕事の人が手を出し始めました。私は怒り、手を引かせました。不景気になり、人のしていた仕事をとる人が出てきたのです。仕事がなくなることを恐れての行動です」と。恐ろしいことだと思いました。
★ 工場閉鎖と水道料値上げ、家賃の滞納と保障協会の保障 工場閉鎖はさまざまな問題を起こしているようです。安曇野市の不動産業をしている高校の同級生が語りました。 「エプソン豊科工場が閉鎖しました。同社は月に水道料を2億円も使用していたそうです。同社工場閉鎖のためもあり安曇野市は水道料を上げなければならなくなったと聞きます」と話しました。企業がいかに社会に貢献しているかがわかります。 安曇野市の大家さんの中には人材派遣社員の引き上げのため、一気に20軒も空室になった家があります。オーナーは大困りです。又、昨年までは保障協会は保証人がなくても家賃保障をしていたが、今は保障保証人がなければ保証協会も保障しなくなっています」と。 私はその話を聞き、ふと思いました。私が貸している○○さんも滞納が多く、その上、保証人がいないため紹介した不動産屋が「保障協会に依頼する手続きをとります」と言っていました。しかし、1月の末になっても連絡がありません。「多分、保障協会が保証を了解しないのではないか」と思いました。本当に大変な時代になりました。
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