山崎たつえの視点 日々雑感



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このページは、山崎たつえが日々思うことを綴る、日記のページです。
2007/06/09
市議会議員になってからの私の日記帖(2)
19.5.9 今日は誰が、どの委員会に属するかを決めました。私は経済環境委員会に属する事になりました。その後、経済委員会の会議が開かれ、私は委員会で最年長のため慣例により座長をしました。まず委員長、副委員長が決められました。10名の委員であり、きちんと名前が判っているのに、候補を出すのに会派の名称を言うのです。それはおかしいと思いました。その他にも座長をしていて「オヤッ!」と思う事がありました。私は始めてで何も判りませんが初めて故に「おかしい」と思うことが見えてくる場合があります。
委員会は午後4時ころ終わりました。私は子育て支援課で「放課後児童の問題について」お話を聞きました。
午後7時から松島中学50周年記念事業第3回委員会に出席しました。
経過説明の後、各パートに分かれて討議しました。私は資源回収・バザー委員会へ参加しました。この委員会の企画は事業の資金にするため、また、資源の有効利用のため企画されました。「アルミ缶は`160円という高値で売買可能」と教頭先生から報告がありました。
資源回収・バザー委員会は小学校の昨年の実施要綱を基に検討しました。小学校のPTAバザーは確か子供が小学生の時にPTAの役員になり消費者運動でバザーの経験があった私がPTAに提案したものだったと思います。衣類は売れ残りが出るため扱わない事になりました。そして企業にも出して頂くことになりました。宣伝のチラシは生徒全員へ配布すると共に町内へは回覧で知らせることになりました。

19.5.11 長野県男女共同参画推進県民会議の総会が長野県庁で行われました。
私は長野県婦人教育推進協議会会長として出席しました。この会は「男女がお互いにその人権を尊重しつつ、あらゆる場で、それぞれの個性と能力を十分発揮できるような社会づくりをするため」に設立されています。
多くの意見が出されましたが特に印象深く思いましたのは長野県連合婦人会長の意見でした。「どんなに小さな事でも良いので、この会として一つ実践する事を申し合わせたらどうでしょうか。例えば、省エネの問題を取り上げるとしたら『十五夜の日に一斉に電気を消してみましょう』という申し合わせをするとか…」。私はその意見に「なるほど」と思いました。平成20年度は県民会議ができて30周年であり、その内容についても話合われました。
私は「30周年の折も連合婦人会長の言われたように何か実践する事を一つ決め、県民全体に、その実行を呼びかけたらどうですか」と提案しました。
総会の後、第二次男女共同参画計画の説明が県よりありました。県ではさまざまな企画がされていました。底辺の拡大を図るために多くの方々に参加頂くようにしたいと思いました。
会終了後、長野市に住む長野県短期大学時代の北沢さんにお目にかかりました。北沢さんは私の市議会議員当選を知り「本当に嬉しかった」と言って下さいました。心から喜んで下さっている事が良く判りました。19年1月私は長野市の依頼で女性問題の講演に伺いましたが、北沢さんはその時も同級生を誘い来て下さいました。こんな友人のいることを本当に幸せに思うと共に感謝で一杯です。

19.5.12 「暮らしを変える政策づくりについて」の学習会が東京で行われました。まず講師の先生より統一選挙結果と女性の進出について話されました。
「全国の県議選挙・指定都市市議選挙で女性が躍進しました。都道府県議員では長野県19.0%東京17.2%そして、次が滋賀県へ。区市町村議員は東京21.2%、神奈川、埼玉、大阪、京都、滋賀、千葉、兵庫、そして、9番目に長野11.1%の順です」と話されました。
県議会議員の女性進出率は長野県が全国一位となったのです。首都圏はほぼ高率ですがその中で首都圏でもない長野県が高率なのはどういうわけでしょうか。一方、ランク表を見ますと東北、九州の女性進出割合は低くなっていました。
先生のお話の後、三人の自治体議員がお話下さいました。政策以外の事で特に印象に残った点について記させて頂きます。
生方裕一先生は「議員は御用聞きではありません。『何か困る事はありますか。お取次ぎをします』では駄目であり、何が市政に必要かを考えて行動する事が大切です。そして、身の上相談は親切丁寧にすることは勿論ですが客観的立場で対応すること。その他、学習活動、研究活動は積極的にすること。そして、さまざまな人と交流すること----こんな話をして下さいました。
木村洋子先生は「理事者にはこちらから伺うようにし、質問は少し抜け道をつくるようにします。結果は直ぐには出ませんが依頼された事は結果の如何を問わず3日で返事をすること」と話されました。
徳永雅弘先生は「信念は曲げない事」を強調されました。
その後、質疑がありました。
☆ 私は「松本市議会の人事が結果的に『数は力』となっています。先生方の議会はどうですか」と質問しました。
木村先生は「数の論理は仕方がない」と言われました。
しかし、生方裕一先生は「私の市では少数派にも役員を振り分けています。一人会派の人が議長になることもありましたし、共産党が自民党と手を組んだこともあります」と言われました。県内の知人にも聞いて見ますと、さまざまなスタイルの議会人事があるようです。

☆冠婚葬祭の出席についても質問がでました。
徳永先生は「原則的には選挙法上違反です」と言われました。生方先生は「特に連絡の来た方のところにのみ行きます」と言われました。しかし、研修に参加されていた大方の議員の方は「行ききれない」との意見でした。

19.5.13 朝「女性展望」を読みました。
同書では「連合は女性のパート労働者の均等待遇や子育て支援充実を訴える集会を全国で開催」「NTT労働組合は子育て支援の短時間勤務制度を求める」「電機業界で不妊治療支援も進んでいる」「パート年金拡大の案が労働省から出された」など記していました(女性展望5月号2p)。今の社会の女性が抱えている問題に大手の会社の労働者が取組んでいる事を知り嬉しく思いました。

19.5.14朝、食事の時夫が次のような話をしました。
道路を歩いていくと行く先にぽっかり穴が空いていた。近づいてみるとDさんが道路下にある河川に入ってなにやらしていた。夫が「何をしているのですか」と声をかけると「かけ口に水を入れるために土嚢を積んでいる」と言われた。そして「前にある人に依頼したが何の連絡もなかった。この道路が出来てから、ずっと水を入れる時は土嚢を積んでいる。年をしてくるので困る」と話された。
夫の話を聞き私は早速現場に行きました。河川の構造を見てDさんが長い間大変な御苦労をされていた事が判りました。又、歩行者がフタの空いていることに気づかなかったら歩いている人にとっても危険な事だと思いました。朝一番に、私は松本市の建設部に「責任者にお目にかからせて頂きたい」と電話しました。そして部長さんにお目にからせて頂きました。どのような処置がとれるか検討し連絡下さることになりました。
それから4日後の18日、私はDさんが現地で土嚢を積んでいるところに通りかかりました。私は「この道路が出来てからずっと、この作業を続けているのですか」とお聞きすると「そうです」と言われました。私は「この道路は何時出来たのでしたっけ」とお聞きしました。Dさんも定かではありませんでした。私は議会事務局にお願いして調べて頂きました。その結果、平成2−3年に施行された道路である事が判りました。

14日、もう一つ、私は地元の方から言われている事がありましたので、その学習のために、もう一つの部にも伺わせて頂きました。市役所を後にして私の属する団体の方達の待つ会合へ伺いました。午後7時からJA農政協議会がありました。農業が経営として成り立つために農業政策が大きく転換している事を知りました。

19.5.15有明高原寮を支援している団体で安曇野市穂高区有明高原寮に研修に伺いました。有明高原寮は塀のない少年院であり菊田和夫作「鐘のなる丘」のモデルとなった場所です。塀のない少年院のため職員の皆様は大変気を使われているようです。寮長さんは次のようなお話をして下さいました。
「6ケ月、4ケ月の研修コースがありますが状況によっては途中でも退所します。もっとも状況が悪い場合は少年刑務所に送られます。昨年は一人そのような子どもがいました。
今度少年法が変わります。今まではサカキバラ事件がきっかけで14歳から収容するようになっていましたが、今度の法改正により13歳或いは11歳の子どもも入所してくる可能性があります。又、今までは親への教育は強制的ではありませんでしたが、法律の改正により親に強制的に指導が出来るようになります。子どもの健全育成に取りまして子どもと親との関係修復は非常に大切です。一軒の家になっているスペースが高原寮内にあるますが、一泊二日位で親子がそこで過ごすこともあります」。
視察中、寮生ともすれ違いました。とてもよい子供達でした。この子どもたちがどうして罪を犯してしまったのか…と思いました。

19.5.16 島内地区農業振興地域整備推進協議会がありました。市議会議員は顧問になっています。島内の市議会議員は交代で挨拶をしています。今度は私の順番でしたので挨拶文を考えてゆきました。しかし、当日、挨拶はありませんでした。次のような挨拶をする予定でした。
一昨日島内農協農政協議会に出席させて頂きました。国は農業を21世紀にふさわしい産業としていくために「品目横断的経営安定対策」「あらたな米需要調整」「農地・水・環境保全向上対策」を三本柱とした農業政策を打ち出しています。そして、農業が経営として成り立つため認定農業者や集落営農組織の拡大・設立・整備を進めております。人が生きていく上で農業は最も重要な産業です。前述しましたようにたくましい国の政策を嬉しく思いますが、それを実施するのは私達住民です。地域です。
言うは安く、行うは難いのが実情です。島内においても認定農業者の拡大や集落営農組織の整備は大変な事です。しかし、島内は昔から農業立村として名をはせていました。地域の発展ためにも、農業経営者のためにも、又、安全な食の供給のためにも、地域全体で力を合わせ農業の振興に努めてまいらねばと思います。地域の、そして農業の、そして農協のますますの発展を祈念いたしまして挨拶に代えさせて頂きます。

19.5.17 初めての臨時市議会でした。議場に入場しょうとすると市長さん初め理事者が整然と並んでおられました。そして、議員はどなたも入場しておりませんでした。私は一瞬足を止め他の議員の入場されるのを待ち入場しました。私の席は一番なので入口に最も近いところにありました。議長、副議長など、あらかじめ決められていた方々を形式的に決めました。その後理事者側から案件が出されましたが、その後各委員会に付託され協議しました。私は経済環境委員会ですので中山霊園第三次造成事業用地について審査しました。第一次は昭和42年、第二次は平成2年に分譲され、今度の第三次は平成20年に分譲予定の霊園です。これで中山霊園は合計10,197区画になります。多くの意見が出されましたが最期には委員は賛同しました。
私は霊園に関して興味を覚えましたので委員会終了後、担当係にお聞きしにゆきました。以下は担当課の方のお話です。
「永代使用料は192万円から38万円です。管理料として年間11,700円〜2,900円を納めて頂きます。管理料を納めない人は今の段階ではいません」。
さらに親族がいなくなった時の事が心配になりお聞きしました 。すると「後継者がいなくなった時は松本市にお返し頂きます。お骨は霊園内に納めるところがあり、そこに納められます。あくまでも松本市はお墓を御貸せしているのです」との返事が返ってきました。また、松本市以外の方の使用については「お墓は松本市外の人にも使用頂いています。但し、その場合使用料は高く、松本市民が59400円の場合松本市外の方の使用料は742500円となっています。税金を使っていますので当然といえます」との事でした。
私の委員会で検討した議題ではありませんが健康保険税の値上げの問題がありました。この問題は議場で起立採決をとりました。私は「法の改正なので仕方がないかな」と思い賛成に回りましたが複雑な心境でした。調べてありませんので額は不確かですが松本市には健康保険税の未納者が多いと聞きます。値上げする前に滞納整理をしてほしいと思いました。かつての市役所職員は全職員総出で滞納整理に回ったと聞きます。

臨時議会の後、県議会議員との懇談会に出す資料について松本市の理事者と全議員とで話合いました。
私は児童館・児童センターについて提案しました。共働きが激増している現在、働く親にとって放課後児童の問題は心配です。しかし、長野県は財政立て直しの故だったと思いますが児童館建設への補助金を打切っていました。そこで私は「児童館、児童センターに対して補助金をもらえるように長野県に働きかけて頂きたい」とお願いしました。
それに対して福祉部長さんは「県は18年度4,000万円でしたが19年度は143,400万円の予算化がされています。松本市は平成20年度から手をつけます」と言われました。
現在、松本市は小学校4年生までしか児童館では受け入れる能力がないとの事ですが、私は小学校5−6年までは受け入れるよう努力して頂きたいと思います。
また、岡田地区や梓川地区からの議員さんから「猿など有害鳥獣対策」についての発言がありました。議員の発言に地域特性を感じました。ここから私はあらゆる地域、あらゆる階層から議員は出てくる方が良いと思いました。勿論、私のように無所属の女性層からの進出も必要だと思います。
それにしても県議会議員との協議に道路問題の多いのにはビックリしました。教育とか、子育てとか…生活に根ざした問題はほんの少ししかないのです。なぜでしょうか。

ちょっと横道にそれますが…梓川地区では猿に困っていますが、梓川地区のすぐ近くにある安曇野市穂高区のホテルでは観光資源となっていました。先日、穂高のホテルに行きますと係の方が「皆様が御着きになる少し前、猿が庭に一杯来ていました。危害を加えなければ何もしません」と言われました。私の友人たちは時間差で猿を見る事ができなかった事を残念がりました。

午後6時から議長、副議長の就任祝賀会が行われました。全部の議員の皆様と初めて懇談しました。帰宅すると松本市に依頼してありました調査が2通届いていました。一つは野外照明についての経過説明、もう一つは廃棄物についての書類です。
実は野外照明について地域の方から「照明の角度が悪くて球技がしにくい」と言われていました。そのため私は西部広域組合に、昨日お聞きしにゆきました。すると地元からの要請があり地元と協議して照明の高さや角度を決定してある事が判りました。私は「その経過を書類で頂きたい」と依頼しました。なぜならば口でいうより正確に依頼者に伝わるからです。発言された方に届けますと良く理解くださいました。時が変わり役員が変わりますと、このように何が何やら判らなくなる事が多々あります。すばやい西部広域組合の処置に感謝しました。

19.5.18 今日は「学び&語る会」で特別養護老人ホーム、宅幼老所の視察をしました。高齢になり動けなくなった時どこにお世話になるのがベストかを考えるためでした。「何処の施設に行きたいと思いましたか」との質問に多くの方が「どこにも行きたくない。家が良い」と答えました。総会並びに次回の予定を決めて散会しました。
午後7時から松本市制100周年記念事業の「花岡千春ピアノコンサート」に行きました。花岡さんのピアノコンサートを聞き一度で花岡さんのピアノに魅了されてしまいました。

19.5.19 女性陶芸家の生涯の映画「火火」を友人と見に行きました。迫力のある映画でした。自分の息子の白血病との闘いを通して骨髄バンクの必要性を痛感し、その運動を立ち上げた女性の物語でした。陶芸展も実施されていましたが、なかなかの力作でした。モデルとなった神山清子氏も展示場におられましたが地味な方でした。知人の主宰者側の方が、たまたま会場におられたので教えて頂きましたが、そんな事がなければ神山清子氏とは判らなかったと思います。午後は政治評論家の講演会に行きました。

19.5.20 今日は野麦峠まつりです。奈川地区は私が長野県職員として勤務していた20代の頃、何回か行ったことのある懐かしい地域です。奈川地区の忠地議員から「ぜひ来て下さい」とのお誘いを受けたこともありますが、この目でおまつりを見ておきたいとの思いがあり、友人を誘い参加しました。
川浦歴史の里でシャトルバスに乗り換え旧野麦街道入口でおり頂上まで歩きました。工女に扮した子供たちも一緒でした。私たちの前を子ども達の親御さんが歩いていました。私が議員である事が判ると「松本市までの道をぜひ良くして下さい」と言われました。地元の方にとって日々使う道が如何に切実な問題であるかが推測できました。又、放送大学の同窓生にも逢いました。彼は「『ああ、野麦峠』を読んでから毎年参加している」と言われました。地元の方々が野麦峠まつりを育てていかれたいと思ったら、地元の人のすべてが『ああ、野麦峠』などをしっかり読み身体にしみ込ませておく事が必要ではないかと思いました。それは私の経験からです。
私はかつて山口村越県合併について調査をし本を書いた事があります。その時、山口村の人々が島崎藤村について学習していなかったのではないか、島崎藤村について学習していたら越県は出来なかったと思いました。今、旧山口村を訪れる人々は激減したと聞きます。くわしくは私の「山口村越県合併をふりかえって」をお読み頂ければと存じます。
頂上に着くと女工に扮する子どもたちが踊りを見せて下さいました。工女姿に惹かれた私は「一緒に写真を撮って頂けませんか」と依頼しました。すると子どもたちは「サービスサービス」と言ってカメラに収まって下さいました。奈川地区の忠地議員にもお目にかかりました。当日は高山市の市長さんも見えられていました。高山市市長さんと忠地議員と私の三人で記念の写真も撮らせて頂きました。
 松本市の市長さんと高山市の市長さんのトップ会談が計画されていましたが私達は午後の予定がありましたので美味しい蕎麦を食べ奈川を後にしました。

帰宅してから私は「神山清子氏と監督の高橋氏」のトークショーを聞くため井上デパートへ行きました。前日、神山清子氏をモデルとした映画「火火」を見ました。神山氏は女性が焼き物を焼く事を許されなかった時代、その中を生きぬき一流の陶芸家に成長してきました。そんな彼女の姿に感動しました。神山氏は70歳、私は67歳。男女差別の激しい中を私も生きてきたので神山氏の生き方に魅かれるものがあったのかもしれません。

19.5.21 インターネットをみていますと保育ママ制度を日本において取り入れたらどうかという政府関係会議の提案が目にとまりました。この制度はスウェーデンにおいて行われて実施されていました。
2007年05月22日 2:07 【共同通信】
 新たな少子化対策を幅広く検討する政府の「子どもと家族を応援する日本重点戦略検討会議」(議長・塩崎恭久官房長官)の「地域・家族の再生」分科会の中間報告案が21日、明らかになった。
 今後日本でも出産前後を通じて仕事を続ける女性の割合が高まり、年度途中の保育所入所が必要な場合が多くなると予測。育児休業明けの復職の際のネックとなる3歳未満の子どもへの保育サービスの重要性を強調している。
 具体的には短時間保育や夜間・休日保育、病児、病後の子どもの保育など、多様な保育ニーズを挙げ、保育所のサービス拡充だけではなく、保育士などの有資格者や育児経験者が家庭で子どもを預かる「保育ママ」制度の充実を求めた。

19.5.22 松筑防犯協会総会(事務局は警察)が行われ表彰も行われました。しかし、私は表彰について発言しました。何年来かの表彰をみていての発言です。「私は『このような表彰制度があります』などと一切聞いたことがありません。どこで決められ表彰するのか。いつの間にか決まっており表彰式が行われます。すべての人に情報公開をして下さい。『どうしてあの人が』と思われる人も一杯いました。」と。表彰は本来、一生懸命やっている人達を表彰するものであり、それによって会の活性化を図っていくのが目的です。松本市に表彰の推薦について伺いますと「表彰には関わっていません」との事。どうやら警察で決めているようです。

19.5.22 午後松本市青少年補導員の研修会がありました。講演並びに一般補導員と学校の先生方との話合いもありました。話合いのとき島内児童館についての話が出ました。「トイレが一つ。コンクリートの山に亀裂が入っているが直さない。今以上に児童は受け入れられない。学校のそばに児童館がほしいなど」の意見でした。
私は島内児童館へよって見ました。トイレは男女兼用でした。幼児から中学生まで一緒に遊んでいますのでトイレは男女別にすべきと思いました。一部の改修でそれは可能です。又、コンクリートの山の亀裂も大変な経費ではないと思いました。放課後児童の受け入れ状況などについても、お聞きしました。先生は小学校の校長先生をした方でした。教職の経験者である事を知り、うれしく思いました。特に放課後児童にとっては生徒指導をして頂けるからです。大勢の子どもたちが館内で遊んでいました。子育て支援課長さんは「30-40人の申し込みがあれば新築も…」と言われましたが40人もここに詰め込んだら大変だと思いました。又、現在、児童館は小学生の放課後児童のための機能と子どもの居場所としての機能を分担していますが、できるならば機能を二つに分けた方が良いのではないかとも思いました。放課後児童の子どもの場合は宿題などがあるからです。
その帰りに島内小学校へより児童生徒の状況などをお聞きしてきました。
さまざまな案を校長先生に問いかけてみました。
「校内のどこかに放課後児童の居る建物を建てる場所はないですか」。すると先生は「ありませんね」。私は「もし空き教室があった場合、放課後児童のために、そこを利用することはどうでしょうか」ともお聞きしました。すると先生は「管理が困ります」と言われました。私は「北欧では校内並びに学校の隣接地に放課後児童の施設がありました。校内の場合はきちんと区切られていました。もし松本市で空き教室を利用するとしますと区別は大切だと思います。しかし、先生にとっては校内に、それら施設があった方が楽な事もあります。現在は児童館が離れているため年度当初などは児童館まで子どもを送り届けておられると聞きます。校内にあれば、そのような心配はいりませんね」。そして。
「『児童館を建てて本当に利用するのか、祖父母がいるので利用しなくても良いのか』も、きちんと把握する必要があるのではないか」そんな話もしました。

19.5.23
 今日は経済環境委員会に関する各部局の概要説明でした。私は農業問題、環境問題について質問しました。その後、教育委員会で留守家庭の調査、保険課で保険についての調査、子育て支援課で昨日訪問した児童館の感想などを話しました。亀裂の入っている山の修理は「危ないのですぐする」と言って下さいました。
放課後児童についての国の新たな考えの資料を頂きました。課長さんに「放課後児童の受入施設を柔軟な考え方の基に検討してみたい」と申し上げました。その一つとして空き教室の利用もありますが「学校側は管理が心配なのではないかと思われます」と申しました。私は「実施している学校があれば視察させて頂きたい」と視察場所の紹介を依頼しました。そして、28日に茅野市へ伺うことになりました。
夜は島内社会福祉協議会並びに島内福祉ひろば事業推進協議会総会が開催されました。会長代理の河野勝次氏は島内地区の大きな問題として「児童館の問題、包括支援センターの問題、高齢者の交通手段の問題」などをあげられました。私もそのとおりと思いました。市議会議員を代表して私は挨拶をさせて頂きました。「最近の世相をみた時少子高齢化、核家族化などが進み、一方、地域では人と人とのつながりが希薄になっています。その中で高齢者や障害者の介護の問題、子育て支援や児童の健全育成の問題、災害時の救援体制づくりなど地域の取組む問題は多岐に渡っています。島内社会福祉協議会並びに島内福祉ひろば事業推進協議会の果たす役割は大きなものがあります。両会のますますの御活躍を祈念いたします」という趣旨の挨拶をしました。

19.5.24
明日は管内の経済環境委員会関連の施設を視察です。22日の委員会のときに視察に行くときの洋服について話あいました。その結果、背広にネクタイという事になりました。スーツを好まない私はいつもラフなスタイルをしています。そんなわけで、特に初夏の七分のスーツなどありません。仕方なくスーツを買いに行きましたが、体型が標準的でないため身体にフィットするスーツがなかなか見つかりません。そのため半日を要してしまいました。しかし、何とか一着、見つかる事が出来ホットしました。

19.5.25
今日は雨の中経済環境委員会管内視察がありました。9時に市役所を出発し14ケ所を視察しました。
美ヶ原温泉センターは指定管理者により運営されており健康と温泉効果を目的とした施設です。松本市の直営よりも収入は上がっていましたが、やはり赤字との事でした。私は温泉部分について視察し思いました。二階の温泉部分の大部分は男女が一緒に水着を付けてはいるようになっていましたが、中を仕切り男女別にして、入浴を楽しめるようにした方が良いのではないかと思いました。水着をつけての入浴は日本人になじみがないように思いました。
クリーンセンターでは「空き地にストックヤードを建設し来年4月より稼動する」との話を聞きました。「ストックヤードには民間の不燃物、資源物、埋立ゴミを持参頂きます。資源回収率アップをネライとしています」との説明でした。私はグットアイデアと思いました。
エコトピア山田にも行きました。同所では「ガラス、陶器、普通の灰、煙として出てくる粉塵を埋めています。煙として出てくる粉塵はダイオキシンが含まれていますので、それに対して薬品処理をしています」との説明を受けました。ダイオキシンは怖いものです。5月21日午後7時よりNBSテレビで「ベトナム戦争後のダイオキシン被害について」放送していました。ダイオキシンを吸った人の孫にまで奇形児が生まれているとのことでした。
松本市もダイオキシンには神経を使っているように思われました。今井地区産業廃棄物処理施設も視察しましたが、同地域には焼却場を抱えている工場もあります。長野県も松本市も今井地区のダイオキシンの検査を実施していると説明がありました。
四賀の有機センター、クラインガルデンも視察しました。クラインガルデンでは有機肥料を使用する事、買い物は四賀地区ですること、交流事業に参加することなど条件をつけて受け入れていました。
あずさ夢工房は女性たちが頑張ってやっていました。「家賃も松本市へきちんと払い、人件費も一時間650円払えるようになりました」と言っていました。最初はたしか300円位だったと聞いています。
梓水苑・松香寮へも伺いました。指定管理者が請け負っていました。「現在は黒字です」との言葉に私は「凄いですね」と申し上げました。すると「家賃がただなので何とかやっていけます」とのこと。私はその言葉に唖然としました。どこの民間企業に家賃ゼロで経営しているところがありましようか。
ファインフーズ梓川にも行きました。創立平成15年度であり、松本市が66.5%の株をもっています。発芽玄米を作り販売しています。梓川村当時に平成16年12月議会で2億5900万円債務補償、そして、平成19年2月議会で1億2500万円債務補償を議決しています。「債務補償」とは会社が倒産したとき「松本市が借金を肩代わりしなければなりません。つまり借金の保障人になったことです。学校給食にも使用したり、昨年度から農家の委託加工を始めるなど企業努力はしているようですが大変な赤字経営です。私企業ですと、とうの昔に倒産です。私はこれだけの赤字を出して継続している意義があるのか疑問に思いました。
今井地区には古木材の焼却場、産業廃棄物の処理場などがありました。「ノズミ」の事は聞いていましたが、あれほど大量に積まれているとは知りませんでした。びっくりしました。ノズミについて産廃処理を許可している長野県はOKであり、松本市はNOであり、地元は15年間反対運動をしていると聞きました。松本臨空工業団地、和田西原住宅団地、などなど視察しました。

松本市はどうなっているのでしょうか。赤字経営が一杯。今日視察した中だけでも美ヶ原温泉センター、ファインフーズ梓川は赤字です。梓水苑は家賃ゼロ。何かおかしいと思うのは私のみでしょうか。
視察の途中携帯に電話が入りました。建設部からでした。5月14日にお願いしておきました水路の補修について実施する運びになったとの連絡でした。歩道上のフタを開けている時、歩行者がうっかりして歩道下の水路に落ちる可能性もありますので本当に良かったと思いました。
視察終了後に建設部に伺いました。新しい橋が安曇野市と島内地区との間に出来ますが、そのために学北道路の交通量が増える事が予想されます。地域の方から「交通の安全について対策を講じていただく上から橋の出来る前と出来てからの交通量調査をして頂きたい」との提言がありましたので、お話させて頂きました。

19.5.26
午前9時40分から「夢街道 in 松本」の開会式が松本城の庭園で行われました。経済環境委員会の私達はご招待を受けました。大勢の人が出ていました。私は出店をしていた梓川区の人達のところでおやきを買ったり、北海道や鹿児島のブースで特産品を買いました。その後、お昼を兼ねて友人たちと安曇野市三郷地区の十カ堰へ行きました。午後は青少年補導で松本市内を巡回しました。
青少年補導で新村、和田地区を回りました。両地区の児童センターも回りました。和田児童センターは格別素晴らしい建物でした。登録児は52名で児童館に来る子どもは全員登録児とのことでした。先生は3名いました。新村児童センターも素晴らしい建物です。先生は3名で登録児は51名でした。島内地区は児童館のスタートの頃建設したため、今はすっかり古くなっています。親が児童館を見学に来て嫌になり登録する事を止めてしまうケースもあると聞きます。新村、和田地区は今まで児童館がなく島内よりずっと後に建てていただきました。島内児童館も見直す時期に来ているのではないか思います。

19.5.27
家庭教育の講演会があり参加しました。「家庭は芽をつけ、学校は花をつけ、社会は花を咲かせるところ」との講師の先生の事が印象的でした。

19.5.28
警察の職員のボランテイア団体に対する対応について異議があったので話し合に伺いました。課長さんと担当の方と三人で1時間30分位お話しました。
その後、調査のために松本市役所保険課へ、そして、午後は諏訪市役所保険課、茅野市役所へ伺いました。茅野市役所は放課後児童の受入について視察させて頂きました。大変参考なりました。これは別に報告させて頂きます。
松本市が66.5%出資しているファインフーズ梓川株式会社の書類をみていて判らない事が出てきました。松本市に説明をお願いしますと31日に説明下さることになりました。

19.5.30
今日は私が責任者をしている会の全県下の会合がありました。夕方、島内町会長さんとの会合がありました。島内地区の抱えている問題について話合いました。西部包括支援センターのこと、島内児童館のこと、マレットゴルフ場のこと、山田の焼却場のこと、土木事業のことなどがあげられました。

19.5.31
ファインフーズ梓川株式会社の記事が「発芽米の3セク苦戦」とのタイトルで
松本市民タイムスに掲載されていました。丁度、私が説明を受けようとしていた日でしたので、びっくりしました。課長さんと課長補佐さんから説明して頂きました。私企業しか知らない私は今だ、すっきりしません。帰宅してからも書類を送って下さるよう依頼しました。図書館へより調査関係の本を探しました。


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