19.4.26日 小松芳郎先生より「松本市100周年」と題するお話を更正保護婦人会でお聞きした。 @ 松本市の合併の歴史は次のような状況であるが、合併にまつわり、さまざまなドラマがあったとの事。その話に興味がわいた。 松本市が誕生したのは明治40年5月1日。その時含まれていた地区は「北深志、南深志、蟻ケ崎、桐、宮淵、白板、渚、庄内、埋橋、筑摩、中林、三歳」であった。 そして、大正14年、松本市は松本村と合併。 さらに昭和18年中山村の神田区が松本市に合併。13年後に中山村も合併。 昭和の大合併で、昭和29年4月1日島内、中山、島立が、8月1日に新村など10村が合併。その時の合併順序が今も行政ではきちんと守られている。 昭和35年内田が塩尻市より分村合併。その時、住民投票が行われた。 昭和49年本郷村が合併。 昭和57年笹賀の空港東区が塩尻市の境界変更により松本市に編入。 平成17年に平成の大合併で、梓川、四賀、安曇、奈川が合併する。 A 歴代の市長さんのお話もあった。 戦前の市長は明治憲法下では市会で候補者を選び内務大臣が発令。大正14年からは市議会の選挙で選ばれた。しかし、昭和18年からは市議会の推薦により勅裁(天子の裁決)で決められた。終戦後の昭和22年4月からは公選制になった。 ところで公選制になってからの市長の引退時期を一覧にしてみた。病気引退か4期を狙い破れて引退している。松本市長を4期務めることは市民が許さない風土であろうか。
代市長名期備考 7代筒井1期破れ引退 8代松岡2期病気途中引退 9代降幡3期破れ引退 10代深沢2期病気引退 11代和合3期破れ引退 12代有賀3期破れ引退 13代菅谷1期
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