山崎たつえ後援会通信第一号(19.1.4)
私のしたいことの一つに「高齢者や障害者がいきいきと生きられる社会づくり」がある。 ★ 車いすの入る住宅政策 今抱えている問題は何かを地域の方々に聞いた。即座に「高齢者問題」との答えが返ってきた。高齢者は誰でも障害者にもなるので障害者の問題でもある。 私は後援してくださる方の家を訪ねた。本当に障害をもち歩く事もままならない高齢者が多い現実をみた。A氏は重い足を引きずり玄関に来てくださった。しかし、たっていられなくなり座った。しかし、それも難儀であった。そして、玄関から出る事も難儀である。なぜならば玄関には50センタ位の段差があるからである。スウエーデンは1970年代に「すべての住宅に車いすがはいるようにしなければならない」と法律で決められた。私は凄い!! と思った。日本もようやく思い腰をあげた。松本市でも障害者のための改築資金を補助しているが、まだまだ不十分である。これら制度を利用するよう助言したり、増額するよう私は努力したいと考えている。 ★ ある高齢な女性は15年前に倒れ、それでもようやく歩けるようになったと玄関にゆっくりでてきて下さった。懐かしい顔である。週のうち2日は施設へ行っているが、後は家の中。「家にばかり一人でいると、ろくなことはない」と言った。その家の玄関も段差はあるが、手すりはついていた。「つけていただいた」と語った。 私は友人が立ち上げている宅幼老所の事を話した。この地域に、介護保険を利用しながら、かつ、車いすでも毎日出かけられ、皆と交流できる宅幼老所が必要ではないかと思う。 ★ 「あーなつかしい」となつかしい高齢な女性が顔を出した。やはり、足が不自由である。たまたま夫が留守であった。夫の暴言に苦しい胸の内を語ってくださった。今は2人とも年金暮らしであるが農業をほそぼそしている。「一緒に働き、一緒に家に帰るのに夫は食事をすますと横になっている。私は家事一切をしなければならない」と「男は仕事、女は家庭」の女性の現代的課題のあり方を嘆いて話す。高齢になり家事をするのも難儀である。少しは夫に手伝ってほしい…とのことである。そして、言った。「高齢者離婚は男が働かなくなっても働いていた時と同じ態度男性が居るところに起きるのではないか」と。 ★ 出水がきれいな小川となっていた。私はここを歩くのが好きだ。ある高齢な女性が言った。「この水を利用し栽培してクレソンを作り出荷したが今は高齢なため、冷たくて入る取ることも出来ない」と嘆いていた。高齢者に抱える介護の問題、住宅の問題、夫と妻の問題、高齢者の農業の問題などが見えてきた。 19.1.5記山崎たつえ 山崎たつえ後援会通信第一号(19.1.6)
私のしたいことの一つに「省エネ。リサイクルなど循環型社会の形成」がある。 ★ 資源は有限である。故に資源はなるべく再利用したいと考えている。松本市は資源の再利用に力を入れている。しかし、まだリサイクル率は14%位である。この%をあげるには市民一人一人が「資源は有限。資源はリサイクル」の意識を持ち、分別をしっかりすることである。ここで実践の一場面を記してみたい。 先日、ある会合でお弁当を購入して食べた。Aさんか言った。「ひとまとめに袋にしれて焼却に出せば良い」と。しかし、私はカナダの資源の再利用化の話を聞いていたので「本当は一つ一つ分別して出していった方が良いのです」と言った。 そして、みんなの前でカナダでの4つの分別方法を行った――食べ残しの生物、醤油の入った後の袋、はし、弁当箱と分けた。食べ残しの生物は有機肥料として堆肥になる。箸は紙に再利用される。弁当箱は洗ってプラスチックに出す。焼却に出すのは醤油の入っていた小袋のみとなる。松本の場合は現在、Aさんの言ったように、別べつに出してもプラスチック以外は全部一緒に焼いている。しかし、将来はべつべつに分別するように市民に訴えていきたいと思う。そして、今、毎日焼却炉は2台稼動しているが1台にしたい。 カナダのリネンバーグ郡は1989(s64)年当時、旧式な焼却炉でゴミを燃やしていたが、ダイオキシンなどの問題がおき、現在は法律で焼却炉の設置を禁止している。徹底的にゴミの資源化を計り住民参加の政策のもと現在は56%をリサイクル化している。 リサイクルの目的には資源の再利用もあるが、その他さまざまな問題がある。その一つにプラスチックから発生するダイオキシンの問題もある。ベトナム戦争ではアメリカがまいた枯れ葉剤を吸った母親が奇形児を生み、一気に世界的に問題となった。 とにかく、すべての人々が資源を分別する心を持つ事が限られた資源を有効に利用するキーポイントである。
★ 昨日消防第8分団の会合があった。多くの青年が日時、ボランティアとして地域の防災のために活動している。旧来のハッピ姿の人、防災服の人が入り混じっている。防災服の青年は災害が起きた時、すぐ応えることができるように準備しておられるとのこと。放送大学に在籍していた知人の消防団員は「日々の訓練が厳しい」と言っていた。私達住民も消防団におなかせでなく一人一人が「自分の地域は自分で守る」との意識を持ち防災に心がけたいものである。19.1.5山崎たつえ記
山崎たつえ後援会通信第三号(19.1.23)
★ 私のしたいことの一つに資源の再利用があります。 資源の再利用については世界的に問題となっています。世界の人々が困る事は松本の市民も困ることです。なぜならば資源は有限だからです。例えば紙は木から出来ます。再利用すれば木を切らなくてすみます。木は生長するまで月日がかかります。山に木がなくなれば洪水に見舞われます。故に再利用せず焼却炉で燃やしてしまう事は社会にとって大変な損失です。今回は先日松本のクリーン・センターを訪問した時のことを報告させて頂きたいと思います。 18.10.12日、私の属する団体は松本西部広域施設組合クリーンセンター・ラーラ松本を視察させて頂きました。その折、松本市の清掃課課長補佐からリサイクルについてお話を伺いました。松本市はゴミの資源化のためにさまざまな努力をされている事が判りました。しかし、まだまだ焼却されるゴミが多いようです。ゴミの量は全国平均1000グラムに対して松本は1300グラム。何が原因なのでしょうか。それにしても「資源化率をあげなければ」と思いました。先日カナダのゴミ対策――脱焼却・脱埋立――の話を聞いていたので、なおの事、その思いを強くしました。カナダのモデル地域では56%のリサイクル率と言います。視察し判りました松本の現状の一端を記させて頂きます。 松本市のゴミの量は平成17年度110683tでした。ゴミの半分は紙類です。松本市は資源として利用する方向で取組んでいます。持参頂いたもので資源になるものは資源にさせて頂いています。月一回資源物の収集をしていますが「資源物を出したい時に出したい」との声があり、松本市役所東庁舎に収集拠点を平成17年度に設けてみました。紙、ペットボトル等3-5tというとんでもなく多くの量が集まりました。その為平成18年度により収集拠点を増やすことになり、福祉施設を中心に依頼し6施設が了解頂ける事になりました。松本市のリサイクル率は平成15年度14.8%、平成17年度14%です。平成22年度には24%が目標です。何はともあれ松本市はゴミの資源化に真剣に取組んでいますが、私はこれを更に推し進めたいと思います。 終わりにホットなニュースを記させて頂きます。19.1.23日の市民タイムスに塩尻市の菜種油による循環型利用について報道されてしました。「休耕田を利用しアブラナを育て、それを食用とする。そして、廃油は回収してディーゼル車の燃料に回す」という計画との事。なかなか良いアイデァと思います。松本市でも取入れたら…との思いを持ちました。
★ 私のしたいことの一つに「教育問題」があります。 今、「いじめ」が社会で問題視されています。そんな折、私の属する長野県婦人教育推進協議会では長野県庁のこども支援センターに依頼し19.1.24日、研修会を行いました。 「こどもの権利支援センターの一年を振り返って」の資料の中に次のような一節がありました。 「どんな場合でも『人をいじめて良い理由は存在しない』のです。この当たり前でありながら当然のことを保護者や教師がきちんと把握し、子どもたちに伝えていかなければ『いじめ』をなくす事はできないでしょう。被害者救済を第一に考えた初期対応こそが問題をこじらせないために必要な考え方でしょう。 これまでの相談内容は教師の指導上の問題、いじめ、教師の暴言・威嚇などが多く、どの相談案件も子どもが大変悲しい想いをしたり傷ついたりしているものばかりでした。『いじめ』や『暴力』によって学校内で自分の居場所を奪われてしまい、安心して学べる場所がないという場合は、早急に子どもを救済して本人の居場所を確保してあげるべきです。これは学校として最低限しなくてはならない重要な対応ではないでしようか」。
私はこの一節を読み、今は三十代の半ばになり、一児の母となっている次女の小学校の時の事を思い出しました。ある時、次女は「クラスの中で仲間はずれにされて悲しい」と私に言いました。私はすぐに担任に相談しました。担任の飯沢先生は「一人友人を作るようにしなさい」と私に言うと共に次女にも言ったようです。私は次女に「どの人と友達になりたいか」聞きました。次女は「○○ちゃん」と言いました。私は先生にその事を伝えました。先生は「○○ちゃん」と次女が仲良くできるように配慮して下さったようです。やがて、次女は○○ちゃんと仲良しになる事ができました。そして、クラスの中で孤立する事なく元気に学校に行くようになりました。この処置を私は今でも感謝しています。 これは先生の初期対応が良かったのではないかと思います。居場所のなくなった次女のために先生は「次女と私」を指導し子どもの居場所を確保してくださったのです。もし、あの時、次女がクラスで孤立したら、やがて次女は学校に行くのも嫌になったのではないかと思います。大人でも仲の良くない仲間の会合に行くのは戸惑います。 学校において担任の果たす役割は非常に重要だと思いますし、親は先生との連絡を蜜にしておく事も子どもの健全育成にとって大切だと私は思います。
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