山崎たつえの視点 教育・環境・政治・その他



Recent articles
10/26 
住民監査請求
06/26 
夫婦別姓に対して市議会で規律採決
06/18 
お城を守るために
06/18 
市道にして良いかを協議のため視察
06/16 
低所得者の国民健康保険料
06/16 
一般質問をする。
06/11 
埼玉県国立女性教育会館での研修に参加
12/03 
松本市の不正許可を追及
02/12 
山崎たつえ市議会議員日記 第10号
01/15 
「ゴミの資源化率の向上を図るにはどのようにしたらよいか」の一考察
12/21 
「旧五島建設跡地の車庫」に関する調査
12/03 
山崎たつえ 新聞 第4号
12/03 
山崎たつえ 新聞 第3号
01/29 
山崎たつえ後援会だより
01/03 
談合と選挙の深い関わり
12/22 
波田町の調査18.12.20をみる
10/02 
「有害自販機撤退との戦い」松本市岡田地区の活動事例から
08/24 
防犯ビデオ「特命リサーチ『割り窓の理論』」要旨
04/24 
臼井吉見文学館の続き(2)
04/22 
臼井吉見記念館の指定管理者募集についての私の意見         
12/31 
再び「松本・四賀トンネルは合併の条件か」について
12/15 
「松本・四賀直結トンネルは合併条件か」17.12.13
11/29 
私の松本・四賀直結トンネル日記(1)
10/10 
松本・四賀直結道路の情報公開に関連して(3)
10/08 
松本・四賀直結道路の情報公開に関連して(2)
09/06 
「松本四賀直結道路整備事業についての調査」(要旨)
08/16 
松本四賀直結道路整備事業についての調査
02/23 
松本市政務調査費調査

目次へ
2006/04/22
臼井吉見記念館の指定管理者募集についての私の意見         
                     18.4.16
                    山崎たつえ

 指定管理者募集についての経過18.4.11
★ 指定管理者への応募について
私の属する安曇野地域住民ネット(注1)の4月11日の会議で「安曇野市内の12施設について指定管理者を募集している。安曇野住民ネットで其々の施設について調べ、当組織で可能ならば指定管理者を引受けることにしたらどうか」との提案がなされた。可能性のありそうな施設を選択し、会員が分担して説明会に出席することになった。私は当日遅れて会に行ったので、すでに行く場所は決まっていた。しかし、私はどんな所が指定管理者の募集箇所になっているかをお聞きした。
12ケ所のリストを見て、私は身震いした。臼井吉見文学館があったからである。

注12施設リスト:まちづくり会館、穂高温泉健康館、穂高勤労者福祉センター、長嶺荘、長嶺山森林体験交流センター、自然交流体験センター、穂高郷土資料館、穂高鐘の鳴る丘集会所、穂高立足マレットゴルフ場、穂高権現堂マレットゴルフ場、三郷黒沢マレットゴルフ場、臼井義美文学館

私は即座に「臼井吉見館は民間委託などしては駄目」と思った。しかし、この施設はネットとして説明を受けることになってはいなかった。心配を言葉には出さなかったが、すかさず私は臼井吉見文学館の説明日をお聞きした。直ぐには判らなかったので「調べて連絡をほしい」と言った。18.4.13pm3時との連絡がきた。私と内川さんは長峰荘の話を聞くことになっていたが、臼井吉見記念館は長嶺壮と同じ日時であった。私はどうしても臼井吉見館に行きたいと思った。いかなければならないと思った。指定管理者施設から外してほしいと言うために行った。
★ 指定管理者施設の調査報告会 18.4.14
各自調査した施設について報告会を行った。私は臼井吉見館を公募から外すよう、安曇野市に呼びかける事を提案した。すると渡辺会長が「このような施設こそ、我々がすべきかもしれない」と言われた。その言葉を聞き、私も、それに同感した。そして、締め切り日が18.4.25日なので、とに角緊急会議を開く事になった。
18.4.15 渡辺会長から「臼井吉見記念館の指定管理者になろうとする理由をまとめてきてほしい」とのFaxが入った。そこで、その理由を記してみた。
ところで、私は「どうしても臼井吉見館に行きたいと思った。いかなければならないと思った」と前述したが、臼井吉見記念館について、私を、それほどまでに駆り立てたものは何であろうか。

なぜ臼井吉見記念館に拘るか

★ 信州の精神と島崎藤村
私は平成16年、山口村越県合併に伴い藤村並びに藤村記念館等について調査研究し「山口村越県合併について」という本を著した。
旧山口村馬籠は60年前に建立した藤村記念館と共に観光地として発展した。観光客は藤村の文学、そして、そこに流れる精神に思いを馳せ、馬籠を訪ずれたのではないかと思う。藤村の文学はすべて信州の社会問題をテーマとしていた。藤村は信州をこよなく愛していた。藤村は信州に流れている社会問題=精神を『破壊』、『夜明け前』、『家』、『春』などで、世に訴えた。そして、信州、木曾、馬籠、妻籠を世に売り出した。やがて、信州人の心に、又、藤村に繋がる全国の人々の心に「藤村=信州・木曾」との思いが、強く植え込まれていった。
★ 安曇野の精神と臼井吉見
一方、「安曇野」に目を転じた時、安曇野の今日の発展は安曇野に脈脈と流れていた斬新な精神がその基礎をなしていると考える。相馬黒光、相馬愛蔵、井口喜源治、木下尚江、荻原碌山などを育てたのも、長い間に培われた「安曇野の精神」ではないか。
参考までに、松本市の偉人に思いを馳せて見たい。松本市は松本城を最大の観光スポットとしている。街づくりも松本城を基点にしている。城の精神は上下関係である。松本市の偉人として上げられる人は福島安正、河原操子、川島芳子など軍人並びに戦争に関わった人が多い。安曇野に流れる斬新な精神とは異なる。
臼井吉見は安曇に流れている、このような精神を『安曇野』という作品を通して世に訴えた。そして、安曇野を世に売り出した。私は2005年9月から6ケ月間、『安曇野を読む』講座を穂高カルチャーセンターで開講していたが、その事によって、更に、その思いを強くした。
★ 藤村と小説、臼井吉見と小説
 「馬籠は60年前、貧弱な農業地域であったが藤村記念館建立と共に観光地として大飛躍をした」と前記したが、この事と臼井吉見記念館とを考え合わせてみてほしい。
60年前の馬籠と異なり、安曇野は今、すでに、世に知られているが、臼井吉見記念館をしっかり安曇野市として育てたら…安曇野市を更に飛躍させることができるのではないかと考える。以上のような理由から臼井吉見記念館はしっかりとした考えをもち、臼井吉見の思いを守ってくれる団体に委託してほしいと思う。

18.4.14日、私はこのレポートを持参し緊急総会に出席し発表した。皆さんの総意で臼井吉見文学館の指定管理者として応募する事になった。応募の締め切りは4月25日。最初「書類作りを私に」と言われたが旅行が詰まっていたのでお断りした。そこで皆で当日書類の下書きをする事となった。
ところで、私は「山口村越県合併について」藤村並び藤村記念館などについて調査し本を書いたと述べたが、今回、臼井吉見文学館について前述のような意見を記す上に、それは非常に役立ち「文学と安曇野の関係」に思いを馳せることが出来た。又、穂高カルチャーセンターで「安曇野に登場する女性たち」の講座を六か月であったが実施した事も役立った。更に「みどり信州」という学習会で指定管理者制度について学習してあつたことも幸いした。学習の機会を与えて下さった「みどり信州」の皆様にも感謝したい。
 
18.4.22日、昨日、書類の書き方の指導を受けにいって下さった会員のお話を聞きながら、書類を見直す。目鼻がついた所で、私は用事があり早く帰宅する。同日、午後、松本図書館へ行き臼井吉見に関する本を探す。臼井吉見本人の著書は沢山あるが、人の手による「臼井吉見」について書いた本が少ない。ようやく二冊探した。不思議である。あの位有名になれば何冊か、そのような本があるものであるが……。これも一つの発見である。
 4月25日、メンバーは書類を市役所へ提出することと思う。結果はどうなるか判らないが、決まったら責任は重大である。
注) 安曇野地域住民ネットは当初「住民と行政協働のまちづくり」の実現を目指して活動する事を目的に設立された市民団体である。


<次の記事 以前の記事>